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光よりの光を仰ぎ見て五十年

光よりの光を仰ぎ見て五十年  カトリック光教会


 2016年11月23日、わたしたち光教会は創立以来五十年、歩み続けられたことに対し、主なる神に賛美と感謝をお捧げしました。山口県内の11教会からの信徒、またかつて在籍していた信徒合わせて六十人ほど、光教会から四十人ほどの参加があり、満堂となり、七人の司祭の司式によって、ミサが厳粛な雰囲気の中で捧げられました。ミサが始まるしばらく前から、多くの信徒が席について静かに祈っておられ、これは素敵な恵みあふれるミサになると直感しました。わたしたちの信仰、わたしたちのあらゆる活動の原点、基盤は祈り、すなわち、いと大いなる方、神様とのつながりをおいて他にないからです。


 また、わたしは光に来るずっと前から、光っていい名前の町だと漠然と思っていました。光に来てから、この町が日本の軍国主義時代の拠点の一つだったということを知り、愕然としました。実は「光海軍工廠(武器工場)」が開庁(1940年10月)と同時に、「周南町」が「光町」へと改名されました(1943年光市となる)。最盛期には三万人もの労働者がいたと言います。さらに、1944年11月、工廠の一部に回天(海軍特攻隊)訓練基地が設置され、4訓練基地の司令部がありました。そして、1945年8月14日、米軍による空襲で750人ほどが死亡、そのうち136人が動員学徒でした。この光空襲の翌日、8月15日、日本は敗戦しました。


 人を殺すための武器が作られ、爆弾によって多くの人が殺された町、当時の光市は死へと導かれる光で満ちあふれていました。そのような鈍い光を放っていた光市がまことの光、人を生かす光で満ちてほしいという願いのもと、キリストの光を教会名にして、カトリック光教会が創立されたのでした。初代主任司祭ドラペリエール神父、第二代メディナ神父、第三代アルティリヨ神父、それぞれの時代に、信徒たちの誠実な信仰共同体があり、今に受け継がれていることに、先人の皆さんの働きに感謝します。そして、現在の光教会がこの一年、過去の歩みを信仰共同体として、また個々の信仰者として振り返る機会を充分持てたのは将来の歩みに向けての大いなる助けになるものと確信します。しかし、油断は禁物です。得てして、築き上たものはいともたやすく壊れてしまいます。「いつも目覚めていなさい」をしっかり胸に抱きながら、まことの


光、キリストの光を小さなぼんやりした光だとしても、わたしたち自身分かち合い、隣人に伝えていきましょう。「あなたがたは世の光です」。

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