カトリック光教会の勉強会
ゆるしの秘跡について
1.なぜ「ゆるしの秘跡」を受けることが必要なのでしょうか?
私たちは洗礼によって、神の子として新たに歩み始めました。それゆえ私たちの人生、信仰は「キリスト のように考え、キリストのように行い、キリストのように愛すること」を目指しています。しかし、すでにイエス・ キリストと同じく神の子と呼ばれる身分でありながらもまだアダムの子孫としての弱さを身にまとっています。 それゆえに私たちは父なる神のみ心から離れた生き方や行いによって、神様や人々、自分自身を傷つけ、 汚すことがあるのです。そのような時、もう一度、神の子として歩み出すためには、自分白身の心を正直 に見つめ、神様のいつくしみと愛によって力づけて戴くことが必要なのです。私たちは私たち自身の心であ りながら、自分の力や努力だけでは変えられないからです。私たちに心を不えて下さったお方こそ、私た ちの心を豊かなものに成長させて下さる恵みを不えて下さるのです。
2。「ゆるし」と「ミサ」の関係
私たちはミサに不るたびに、「私は、思い、ことば、行い、怠りこよって…」という回心の儀を行います。ミ サの回心の儀においては各自が個別の罪については告白しませんが、これも一般赦免とも呼ばれるゆる しの恵みの一つの形なのです。ミサにおいて、キリストの体と血を表すパンとブドウ酒とともに私たち自身が 神様のみ手の中に受けとめられ、キリストの見える体としての教会となるために清い心、生き方となって奉 献するためなのです(典礼憲章48項)。それゆえ、熱心にミサに不り、ご聖体を拝領することによって小さ な罪は赦されると教えられているのです。
3。「ゆるしの秘跡」(個別告白)に不ることは必要です。
教会では毎年、少なくとも一度は「ゆるしの秘跡」に不ることが掟となっています(カトリック教会のカテキ ズム要約 305 ・ 432 項参照)。それはたとえ大罪と呼ばれるような根本的な丌信仰な行為、生き方、 心の状態に陥ることがなくても絶えざる回心の招きに応え、自分白身を神様のいつくしみの道にそむいて いないかを見つめるためなのです。自分が罪人であるという自覚は神様を見つめる人にしか生まれない からです。
4。ゆるしの秘跡の受け方で大切なこと。
ゆるしの秘跡は次の七つの要素から成り立っています。
[告解場に入る前に]
① 心の糾明:ありのままの自分を神様の前で反省すること。この半年、一年の自分が生きてきた道、思 い、ことば、行い、祈り、信・望・愛の姿勢についてどんなところに至らなさがあったかを思い出して下さ い。
② 悔い改め:自分の丌十分さ、至らなさについて、言い訳をしたり、他人のせいにせず、弱かった自分を いかに神様が愛してこられたかを思い起こし、神様に素直にあやまり、もう一度、新たに神の子として 歩みたいという希望・意志・決意を持って下さい。 [告解場において]告解場には式次第のタブレットが置いてあります。
③ 告白:心からゆるしを願いたいことを自分なりのことばでお話し下さい。この前にいつ、ゆるしの秘跡に あずかったか、それ以後、どのような生き方をして来たかについてお話し下さい。ただし、状況を説明 しようとして、いつ、どこで、誰と、どのようなことでということについてよりも自分が何をしたか、あるいは しなかったことによって、神様、他者、自分白身についてどのような誤りや罪を犯したかについて語るこ とが大切です
④ 司祭の勧め:必要に応じて、司祭は神様の愛に向かって歩んでゆくために必要なアドバイスを不えま す。また、罪を許して戴いたことに対する感謝の心をあらわすため、「償いの祈り」や「犠牲」を指示し ます。
☞この「償いの折り」は告解場ではなく、自分の席に戻ってから捧げます。
⑤ 悔い改めの祈り:司祭は「償いの祈り」を指示した後で、「それでは、ここで『悔い改めの祈り』を唱えて 下さい」と言います。告解場の席に置かれているタブレッ卜に太字で書かれている「神よ、いつくしみ 深くわたしを顧み、豊かなあわれみによってわたしのとがをゆるしてください。悪に染まったわたしを洗 い、罪深いわたしを清めてください」という祈りを捧げます。
⑥ ゆるしのことば:司祭はゆるしを求める人に手を差しのべながら「全能の神、あわれみ深い御父は…」 と祈ります。そして「わたしは父と子と聖霊のみ名にょって、あなたの罪をゆるします」と祈りながら十字 のしるしをします。その時にゆるしの秘跡を受ける人も十字のしるしをします。 [告解場を出てから]
⑦ 償いの祈り:告解場から出て、自分の席に戻ってから時間をおかずに、指示された「償いの祈り」を捧 げます。ゆるしの秘跡を受けて罪をゆるされた人はただ過去の罪をゆるされただけではなく、これから の生活の中で新たに神の子、キリストの兄弟姉妹にふさわしい生き方を目指して歩み始めたのです。 それゆえ、以前と同じような罪に陥ることのないように生活のなかでこそ、改善する努力、折りの時を 大切にすることをお忘れなく。
⑧ ゆるしの恵み
1・ 清めのことでの論争(ヨハネ3・25)
2・ 外面的な清めを判断した(マルコ7・1-23)
内面的な清め、すなわち悔い改めをイエスは強調する(マルコ1・15)
3・ キリストの十字架上での死:人類の罪を購(あがな)い、神と人類の和解をもたらした。
キリストは「私たちの罪ばかりでなく、全世界の罪を償ういけにえ」
(1ヨハネ2・2)となられた。
「私たちがまた罪人であったとき、キリストが私たちのために死んで下さったことにより、神は私たちに 対する愛を示されました。それで今や私たちはキリストによって義とされたのです。今やこのキリストを通し て和解させていただいたからです」
(ローマ5・8-11)
⑨ 罪の定義
◆罪は何でしょう。
1849 罪とは、理性や真理、そして正しい良心に背く過ちです。また、あるものへのよこしまな愛着による、 神や隣人に対する真の愛の欠如です。罪は人間の本性を傷つけ、その連帯を損ないます。罪は、「永遠 の法に背く言葉や行い、あるいは望み」という定義がなされています。または・・
1850 罪は神に対する侮辱です。わたしたちに対する神の愛に逆らい、わたしたちの心をその神の愛か ら遠ざけます。先祖の罪のように善悪を知ったり定めたりして「神のように」(創世記 3・5)なることを意図す る、神への丌従順であり、反抗です。しがって、罪は(神を無視する ほどの自己愛)なのです。この高 慢ゆえに、罪は救いをもたらされたイエスの従順とは全く 正反対のものなのです。
出エジプト記20章
Ⅰ)十 戒
わたしはあなたの主なる神である
①わたしのほかに神があってはならない。
②あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
③主の日を心にとどめ、これを聖とせよ。
④あなたの父母を敬え。
⑤殺してはならない。
⑥姦淫してはならない。
⑦盗んではならない。
⑧隣人に関して偽証してはならない。
⑨ 隣人の妻を欲してはならない
⑩人の財産を欲してはならない。
戒めは 10 あるが、初めの4つは神に対する人間の務めであり、後の6つは人間関係に関する戒めであり ます。律法全体も要約すると、神に対する掟と、人に対する掟の2つに要約されます。イエスご自身そう 説明されています。(マタイ 22:37~40)そこで、イエスは彼に言われた。『心を尽くし、思いを尽くし、力を 尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』これが大切な 第一の掟です。『あなたの隣人をあなた自身 のように愛せよ。』という第二の掟も、それと同じように大切です。
1)罪の種類について
1852 罪の種類は実に多くと思います。ガラテヤの信徒への手紙(ガラテヤ 5・19-21)には肉のわざを 霊の実に対立させています。「肉のわざは明らかです。それは、姦淫、わいせつ、 好色、偶像崇拝、 魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、丌和、仲間争い、妬み、泥酔、酒宴、まだ、まだたくさんがあり ます。このようなことを行う者は、神の国を受け継ぐことはできません。
1853 罪は、人間的行為と同じように、その対象によって区別することができます。また、 反する徳 やその行き過ぎや丌足などによっても、あるいは反する掟によっても区別できます。また神に背く罪、隣人 に背く罪、自分自身に背く罪というようにも整理できますし、精神的罪と肉体的罪、あるいはさらに思いの 罪と言葉の罪、行いによる罪と怠りによる罪とに分類することもできます。たとえば、「悪意、殺意、姦淫、 みだらな行い、盗み、偽証、悪口などは、心から出てくる……。これが人を汚す」(マクイ 15・19-20)とい うキリストの教えによれば、罪の根は人の心の中に、自由意志にあるのです。純粋でよいわざの源である 愛も心の中にあるので、罪はこれを傷つけるのです。だから…➣
2)罪の重さ、大罪と小罪
➣罪の軽さと重さを考えることも必要です。大罪と小罪と区別することもあります。 大罪は、神のおきてに対する重大な違反によって、人間の心にある愛を破壊します。小罪は、愛に背き、 愛を傷つけはしますが、愛を破壊するものではありません。
1856 大罪はわたしたちのうちにある愛という命の源を破壊するので、神の憐れみの新たな 働きかけと 回心とが必要となります。この回心はゆるしの秘跡の中で行われます。
時々罪を犯す人の意志が、それ自体は過ちであるけれども神への愛や隣人愛には相反しない ことがら (例えばむだ口や馬鹿笑いなどのようなもの)に向かう時には、小罪となります)。
1862 小罪を犯すのは、小さな事柄について、道徳律によって定められた尺度を守らない時、あるいは、 重大な事柄について、十分な認識、または完全な同意なしに道徳律に従わないときです。
1863 小罪は愛を弱めます。それは現世的なものへの乱れた愛着を表すものであり、徳を修め倫理的 善を行う霊魂の進歩を妨げ、有限の苦しみを受けるに値するものです。意図的に小罪を犯し、悔い改め ないままでいると、徍々に大罪を犯す傾向へと流されていきます。小罪は神との契約を破るものではなく、 「成聖の恵みや神との友愛、愛徳や永遠の至福などを失わせるものではありません。神の恵みによって、 人間の努力で償うことが出来るものです。
「人間は現世に生きる限り、あらゆる罪、少なくとも小罪を避けることはできません。 しかし、小罪と 言われるこの罪を無害の物とみなしてはなりません。その重さを量って無害とみなしたとしても、数を数え て、おののきなさい。ちりも積もれば山となり、一滴の水が 集まって大海となります。それでは、わた したちの希望はどこにあるのでしょう。何よりも まず、罪を告白することです……」。
⑩ ゆるしの秘跡の式次第
司祭・信者 : 父と子と聖霊のみ名によって。アーメン。
司祭 : 神のいつくしみに信頼して罪を告白してください。
信者 : この前の告白は … にしました。
(罪を言う)
今日までの主おもな罪を告白いたしました。ゆるしをお願いいたします。
司祭 : (勧めと償い) それでは、悔い改めの祈りをとなえてください。
信者 : 神よ、わたしはあなたに背いたことを心から悔み、お助けによって、こののち再び罪を犯さないと、
かたく決心いたします。
司祭 : 全能の神、あわれみ深い父は、御子キリストの死と復活によって、世をご自分に立ち帰らせ、罪 のゆ
るしのために聖霊を注がれました。神が教会の奉仕の務めを通して、あなたにゆるしと平和を 不えてくださいますように。わたしは父と子と聖霊のみ名によってあなたの罪をゆるします。
信者 : アーメン。
司祭 : 主はあなたの罪をおゆるしになりました。安心してお帰りなさい。
信者 : ありがとうございました。