ミサのご案内
3日(金)聖トマ使徒 午前10時
5日(日)年間第14主日 午前 9時
10日(金)年間第14金曜日 ミサなし
12日(日)年間第15主日(社会教説) 午前 9時
17日(金)年間第15金曜日 ミサなし
19日(日)年間第16主日(聖体賛美式と役員会) 午前 9時
24日(水)年間第16金曜日(聖書勉強会) 午前10時
26日(日)年間第17主日 午前 9時
31日(金)聖イグナチオ(ロヨラ)司祭 午前10時
祈 り と は 何 か
私たちにとって、祈りとは心のほとばしりです。
天に向ける素朴なまなざしです。辛い時にもうれしい時も天に向けてあげる感謝と愛の叫びです。
✧ 祈りは神のたまもの ✧「祈りとは心を神に上げること、あるいはふさわしい善を神に願うことです」 わたしたちは、祈るときにはどこから話しているのでしょうか。思い上がった高慢や自我からでしょうか、それとも謙虚で打ち砕かれた心の「深いふちの底」(詩編130∙1)からでしょうか。へりくだる者は高められるのです。祈りの基本は謙虚さです。「わたしたちはどう祈るべきかを知りません」(ローマ8∙26) 謙虚さこそが、祈りのたまものを無償でいただくために必要な心構えなのです。人間は神の物乞いなのです。
「もしあなたが、神のたまものを知っていたならば」(ヨハネ4∙10) 祈りのすばらしさは、わたしたちが水を求めてやって来る井戸のほとりで明らかになります。そこに、わたしたちに会いにキリストは来られます。キリストがまずわたしたちを捜しに来て、水を願われます。イエスは渇いておられ、その願いはわたしたちを慕っておられる神の心の奧底から出てきているのです。祈りとは、わたしたちが気づこうと気づくまいと、神の渇きとわたしたちの渇きとの出会いなのです。神は、わたしたちがご自身を渇望することに渇いておられます。
人間の祈りはどこから出てくるのでしょうか。祈りの表現(動作やことば)がどのようなものであろうと、祈っているのはその人そのものです。しかし聖書は、祈りがほとばしり出る場として、魂や精神、そしてもっとも頻繁に(千回以上)心を挙げています。祈るのは心です。心が神から離れているならば、祈りのことばはむなしいものです。
キリスト教的祈りとは、神と人間とがキリストにおいて契約を結ぶことです。それは、聖霊とわたしたちから出て、人となられた神の御子の人間としての意志に結ばれ、そっくりそのまま御父へと向けられる、神と人間との行為です。(カトリック教会のカテキズム)
