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​ミサのご案内

《ミサのご案内 2026年7月

​​

24日(水)年間第16金曜日(聖書勉強会)    午前10時

26日(日)年間第17主日            午前 9時

31日(金)聖イグナチオ(ロヨラ)司祭      午前10時

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祈 り と は 何 か

私たちにとって、祈りとは心のほとばしりです。

天に向ける素朴なまなざしです。辛い時にもうれしい時も天に向けてあげる感謝と愛の叫びです。

祈りは神のたまもの 「祈りとは心を神に上げること、あるいはふさわしい善を神に願うことです」 わたしたちは、祈るときにはどこから話しているのでしょうか。思い上がった高慢や自我からでしょうか、それとも謙虚で打ち砕かれた心の「深いふちの底」(詩編130∙1)からでしょうか。へりくだる者は高められるのです。祈りの基本は謙虚さです。「わたしたちはどう祈るべきかを知りません」(ローマ8∙26) 謙虚さこそが、祈りのたまものを無償でいただくために必要な心構えなのです。人間は神の物乞いなのです。

「もしあなたが、神のたまものを知っていたならば」(ヨハネ4∙10) 祈りのすばらしさは、わたしたちが水を求めてやって来る井戸のほとりで明らかになります。そこに、わたしたちに会いにキリストは来られます。キリストがまずわたしたちを捜しに来て、水を願われます。イエスは渇いておられ、その願いはわたしたちを慕っておられる神の心の奧底から出てきているのです。祈りとは、わたしたちが気づこうと気づくまいと、神の渇きとわたしたちの渇きとの出会いなのです。神は、わたしたちがご自身を渇望することに渇いておられます。

 人間の祈りはどこから出てくるのでしょうか。祈りの表現(動作やことば)がどのようなものであろうと、祈っているのはその人そのものです。しかし聖書は、祈りがほとばしり出る場として、魂や精神、そしてもっとも頻繁に(千回以上)心を挙げています。祈るのは心です。心が神から離れているならば、祈りのことばはむなしいものです。

 キリスト教的祈りとは、神と人間とがキリストにおいて契約を結ぶことです。それは、聖霊とわたしたちから出て、人となられた神の御子の人間としての意志に結ばれ、そっくりそのまま御父へと向けられる、神と人間との行為です。(カトリック教会のカテキズム)

ミサのご案内 8月・9月

 

《2026年 8月》

 2日(日)年間第18主日             午前 9時

 7日(金)年間第18金曜日             ミサなし

 9日(日)年間第19主日             午前 9時

14日(金)聖マキシミリアノ・マリア・コルベ司祭殉教者   ミサなし

15日(土)聖母の被昇天(祭日)          午前10時

16日(日)年間第20主日             午前 9時

21日(金)聖ベルナドル修道院長教会博士(聖書勉強会) 午前10時

23日(日)年間第21主日             午前 9時

28日(金)聖アウグスティヌス司教教会博士     午前10時

30日(日)年間第22主日             午前 9時

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《2026年 9月》

 4日(金)年間第22金曜日           午前10時

 6日(日)年間第23主日            午前 9時

11日(金)年間第23金曜日(聖書勉強会)   午前10時

13日(日)年間第24主日            午前 9時

18日(金)年間第24金曜日           午前10時

20日(日)年間第25主日(ミサ後映画会   午前 9時

25日(金)年間第25金曜日(聖書勉強会)   午前10時

27日(日)年間第26主日            午前 9時

聖母の被昇天とは?

(第1部)

 

 マリアが霊魂も肉体もともに天に上げられたという教義で、1950年11月1日に、教皇ピオ十二世(在位1939~1958)が全世界に向かって、処女聖マリアの被昇天の教義を荘厳に公布しました。

  この教義が制定される以前に、すでに教皇レオ十三世(在位1878~1903)の命令によって、検邪聖省(現在は教理省)の記録庫に多くの請願が特別に集積され、後には神学者たちの希望も追加されました。また、第一バチカン公会議(1869~1870)において、204名の教父が聖母の被昇天を決定するように提案したことや、1921~1937年に「被昇天の定義促進運動」が盛んになったことの背景もあります。ピオ十二世は次のように宣言します、「われわれの主イエズス・キリストの権威と、使徒聖ペトロと聖パウロの権威、および私の権威により、無原罪の神の母、終生処女であるマリアがその地上の生活を終わった後、肉身と霊魂とともに天の栄光にあげられたことは、神によって啓示された真理であると宣言し、布告し、定義する」(『カトリック教会文書資料集』3903)。これは「おめでとう、恵まれたかた」(ルカ1・28)と神の使いからのあいさつを受け、神がともにおられるという恵みに満ちたものであるが故に、その生涯においてキリストと最も深く結ばれ、死後においてもキリストの復活と栄光にあずかっていることを意味します。つまりマリアは復活の恵みを受け、キリストを通しての神における人間の完成に到達したことを確信をもって宣言しているのです。(カトリック中央協議会)

 

(第2部)

 

 聖書の中で、聖母の被昇天については直接記されていませんが、カトリック教会は何世紀にもわたって伝達されてきた伝承(聖伝)を聖書とともに大切にしてきました。この聖母の被昇天の教義も神から啓示された伝承の一部分であることをかつての司教たちが一致して認め、ピオ十二世が公に教会の教義であることを公布することによって、マリアが神の母であることを特に強調したことが考えられます。

 この8月15日が聖母マリアの祝日であることについて、歴史的に次のように言われています。5世紀のエルサレムでこの日に祝われていた神の母マリアの記念は、6世紀には、マリアの死去の日として東方教会で祝われるようになりました。この死去は、マリアが天に召された(帰天)ことと永遠のいのちのうちに誕生したこととして記念されていたようです。やがて7世紀半ばに西方教会にも受け継がれ、教皇セルジオ一世(在位687~701)は、徹夜祭やハドリアヌス教会からサンタ・マリア・マジョーレ教会までの行列などで盛大に祝っています。マリアの被昇天の名で知られるようになったのは、8世紀末になってからです。こうして1950年のピオ十二世の教義宣言に至るまでマリア信心の深まりと同時に、次第にこの日を特別な日として祝うようになりました。

 聖母の被昇天への信仰は、マリアだけが特別な存在だと言い表すのではありません。キリストによる救いにあずかる人たちの象徴として、信じるすべての人たちの救いへの希望を表現するものです。ミサの集会祈願はこのことを教えます、「全能永遠の神よ、あなたは、御ひとり子の母、汚れのないおとめマリアを、からだも魂も、ともに天の栄光に上げられました。信じる民がいつも天の国を求め、聖母とともに永遠の喜びに入ることができますように」。(カトリック中央協議会)

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