ミサのご案内
『諸聖人祭』の意義
この祭日において、天国にいる聖人や殉教者を思い出すが、それ以外に第二バチカン公会議が私たちに思い出させるのは、聖パウロの次の言葉である。「・・主イエス・キリストの名によって、また、私たちの神の霊によって、義とされたのです」(一コリント6.11)。すなわち私たちすべてのキリスト者は聖なる者である。
それで第一に、私たちは諸聖人祭を祝う際に、この地上の聖なる信徒相互の交わり、言わば連帯を感じ取ることが求められる。聖パウロが言うように、この地上で生きている私たちキリスト教徒は相互依存しながら助け合っている。「キリストにより、体全体は、必要なものをもたらす互いのあらゆる触れ合いを通して、また、各部分の役割に従った働きに応じて、一つに組み合わされ、結び合わされて、大きく成長し、愛に基づいて自分を築きあけてゆくのです」(エフェソ4.16)。それでキリスト教徒は他の信徒との関係において「喜ぶ人とともに喜び、泣く人と共に泣きなさい」(ローマ12.15)との聖パウロの教えに従うのである。第一に、この思いやりを第二バチカン公会議では全人類にも広げなさいと進めている。「現代の人々の喜びと希望、苦悩と不安でもある」(現代世界憲章1)と。
第二に来世の世界を意識し、死者たちとのつながり(連帯)をひしひしと感じ、永遠の生命への希望が湧いてくるのを覚える。第三に天国にいる諸聖人が神のもとにあって私たちのために取り成していることを信じ、心を込めて諸聖人を祝う。
5日(金)待降節第1金曜日 午前10時
7日(日)待降節第2主日 司教様司牧訪問 午前 9時
(黙想会指導司祭:白浜司教様)
12日(金)待降節第2金曜日(光天使幼稚園でミサ)午前10時
14日(日)待降節第3主日(A年) 午前 9時
19日(金)降誕六日前(マリア幼稚園でミサ) 午前10時
21日(日)待降節第4主日(A年) (映画上映会) 午前 9時
24日(水)降誕前日夜半ミサ 午後 7時
25日(木)主の降誕(祭) (ミサ後クリスマスお祝い) 午前10時
26日(金)最初の殉教者聖ステファノ(祝) ミサなし
28日(日)聖家族(A年・祝) 午前 9時

イエス・キリストは
「聖霊によって人となり、乙女マリアから生まれ」
「時が満ちる」(ガラテヤ4∙4)こと、すなわち約束および準備段階の完了は、マリアヘのお告げから始まります。マリアは、「満ちあふれる神性が、余すところなく、見える形をとって宿って」(コロサイ2∙9)いるかたを懐妊するように招かれます。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに」(ルカ1∙34)、とマリアは尋ねますが、「聖霊があなたにくだります」(ルカ1∙35)ということばで、それは霊の力によるものだという神からの答えがなされます。
聖霊の派遣はつねに御子の派遣と一体となっており、その派遣のわざと結ばれています。聖霊はおとめマリアの胎内を聖化し、神の力によってマリアを懐妊させるために遣わされました。「いのちの与え主」である聖霊は、御父の永遠の御子をマリアと同じ人間性を持ったものとして宿すようにしたのです。
おとめマリアの胎内で人となられた御父のひとり子は、人として存在したその初めから、「キリスト」、すなわち聖霊によって油を注がれたかたなのです。もっとも、このことは、羊飼い、占犀術の学者たち、洗礼者ヨハネ、弟子たちへと、漸進的に明らかにされていきます。つまり、イエス・キリストの全生涯は、どのようにして「神は聖霊と力によってこのかたを油注がれた者となさった」(使徒言行録10∙38)を明らかにしていくものです。
神は救いの計画の中で、なぜ御子がおとめから生まれるよう定められたのでしょう。信仰の目は、啓示全体と関係づけながら、この神秘の理由を見いだすことができるのです。これらの理由は、キリストご自身にも、そのあがないをもたらす派遣にも、また、マリアがすべての人のためにこのキリストの派遣を受諾したことにもかかわっています。
(カトリック教会のカテキズムより)
